ちょっと懐かしく、そして面白い阪急バス <吹田地区の車体の変遷、および吹田守口線・吹田摂津線について>

今回は、10年ほど前からの吹田の阪急バス、前半では車体等について、また後半では吹田守口線・摂津線についてのお話をしようと思います。

★思い出を振り返る★

@1993年・・・乗車扉が、上部が1枚ワイド窓、下部が2枚の縦長の窓というバスのことを強烈に記憶していますが、形式はもとよりメーカーもわかりません。
 
A1994年・・・吹田線で日野車が走っていたことを記憶しています。頭では形をくっきりと覚えているのですが、形式等は分かりません。

B1996年・・・このころまで、87−2130のようなバスが吹田守口線、吹田市内線共に走っていました。
時同じくして、日デ車が登場しました。吹田では見慣れない広告をまとっていたので大変目立っていました。同年代の三菱車より重厚感のある走行音が新鮮でした。
また、三菱の新車も登場しています。

C1997年・・・このころ、吹田線にいすず車が走り始めました。
初期のものは黒バンパー、後期のものは青バンパーです。登場年代によって車内にもいろいろ違いがあります。最近はあちこちに転属して活躍しています。         
当初は、日野車と共に運行されていましたが、次第に日野車を見かけなくなりました。

D1999年・・・吹田市内線に日デの新車が4台登場しました。この車体から側面幕の位置が変わり、また車内の壁も白壁になりました。

E2000年・・・吹田線に日デの新車(ワンステップバス)が2台登場しました。 これらの車については早朝、大阪市内でもお目にかかることができます。

F2002年・・・吹田営業所の管轄の養護学校スクールバスとして、三菱車および日デ車2校にそれぞれ1台ずつ登場しました。
この車のみ、高速バスの塗装です。

(このころ、千里営の五月が丘以西および七尾以西の相互運転車両に02−2847、2848が増えました。早朝・深夜帯、一部便に運用されています)

G2003年・・・吹田市内線に、三菱ノンステップバスが2台登場しました。登場時、年式表示には03−がついていました。
また、吹田線にも日デ・ワンステップバスも2台登場しました。こちらは最初より03−の表記はありませんでした。ともに、行き先表示はLEDです。

いかがでしたか?大変短いながらも、吹田市内線の車体の変遷をまとめました。

さて、後半では、98年に廃止された「吹田守口線・摂津線」についてご紹介いたします。ここでは廃止になる1年前のことをふりかえります。

★吹田守口線★

吹田守口線は、JR吹田〜吹高口〜国道千里丘〜JR千里丘〜京阪守口市駅・門真市駅・近鉄八戸ノ里駅を結ぶ路線でした。うち、早朝に門真市行き・八戸ノ里行きが運転され、昼間時に守口市行きが運転されていました。

この路線では、急行運転が行われており、吹田市内の停車停留所は次の通りです。

JR吹田行き・・・七尾、吹高口、吹田北口、吹田市役所前(阪急吹田)
守口方面ゆき・・・吹田市役所前(阪急吹田)、吹田北口、吹高口、七尾

この急行系統の方向幕は、系統番号の位置に「急」が書かれていました。
またこの系統は廃止直前まで京阪バスと共同運行しており、この吹田市内で京阪バスに乗車できるということが大変貴重であったことを懐かしんでおります。また、現在も京阪バスではJR吹田より阪急上新庄駅・豊里を経由して守口市に向かう路線が運行されています。

この吹田守口線は、JR吹田にちゃんと乗り場があって、パチンコ店の前の降り場が以前の乗り場でした。また、吹田北口にも以前、吹田税務署の前に乗り場があり、この乗り場は吹田摂津線と併用されていました。しかし吹田摂津線の廃止に伴い撤去されました。

★吹田摂津線★

吹田摂津線は、吹高口・JR千里丘系統、阪急相川系統がありましたが、阪急相川系統は現在も運行している路線で、この回顧録では廃止された吹高口・JR千里丘系統を取り扱います。
この路線は、柱本営業所の車両、専ら87〜89年式の三菱車が運用されていました。 ルートは次の通りです。

JR吹田〜吹高口〜国道千里丘〜JR千里丘〜摂津市役所前〜上鳥飼〜摂津ふれあいの里

JR吹田の乗り場は、吹高口・上山手町経由乗り場と京阪バスの上新庄駅・豊里・守口市方面乗り場のあいだの 「休止中」の位置にありました。また、先に述べたとおり吹田北口では吹田守口線と乗り場を併用していました。
以上が、私の記憶していた内容です。少し長くなりましたが、ご覧いただきありがとうございました。

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