リムジンバス車両変遷史

というわけで、1999年2月に始まった阪急バスの空港連絡バス(リムジンバス)の車両の変遷を見ていきましょう。なお、ここでの空港連絡バス、とは、高速車両を使用した茨木ー関空線、西宮ー関空線のことで、日出町、蛍池、千里中央、池田などから伊丹空港への路線バスは対象外ですのであしからず。

茨木線車両

1999年2月に運行を開始した茨木ー関空線。この路線が、阪急バスにおける初めてのリムジンバスとなりました。車両は床下のトランクルームのスペースを確保すべく、サブエンジンの非搭載、直結クーラーの採用などといった専用車両が投入されました。また、「AIRPORT LIMOUSINE」のロゴも、車両の前後、側面に張られ、後部のラインの入れ方は、従来の高速車両とは異なるものでした。ちなみに側面の「HANKYU」ロゴは、リムジンロゴとつりあうよう、ほかの高速車両よりも小振りのものが張られました。

99−2700
99−2701
99−2702

99−2700、2701、2702の3台が茨木営業所に配置され、毎日、2台運用、予備1台での毎日が続きました。

最初に異変が起きたのは2001年3月。この年の1月に開業した西宮ー関空線は、当時、予備車として3列シート車、95−2573が使用されていましたが、この時期、多客が見込まれ、3列シート車両では乗り切れないことが判明。1週間ほどでしたが、茨木車両(車両は不明)と、2573が一時的にトレードされました。なお、一時的な貸し出しということで、ナンバープレートはそのままで使用されました。また、茨木にやってきた2573は予備車として車庫に泊まっていましたが、結局、一度も茨木線運用で走ることはなく、西宮に帰っていきました。

次の異変は同じ2001年の7月。高速バス大阪ー阿波池田線の増発ににより、高速車両が不足することから、茨木の車両のうち、1台を豊中に転属させることになりました。これに決まったのが99−2700。もちろん、高速車両として使用することになるわけですから、リムジンのロゴははがされ、側面の「HANKYU」ロゴも、高速車両と同じ、大きなものに張り直されました。行き先表示幕も阿波池田、西宮、ユニバーサルスタジオの入った、西宮車両と同じものになりました。
ロゴが変更された2700。この翌日、豊中に向かいました。

で、2700がいなくなったら予備車はどうなるの?ということになったわけです。運転士さんの間では当時茨木に配置されていた特定車、88−2170の使用が有力視されていたようですが、芦屋浜に配置されていた特定車、89−2192が茨木にやってきて、リムジンバスで使用されることになったのです。そう、エアロが、リムジンで走ることになったのです。

上の2700と同じ日(2001・7・13)に撮影。この日、芦屋浜からやってきました。まだ、ナンバー、幕は芦屋時代(高速時代)のままです。

ほどなく、2192の幕は黒地の、2701などと同じものに取り替えられました。リムジンロゴも?と思ったのですが、茨木に来て手を加えられたのは幕とナンバーだけで、頭部標識灯も「貸切」のオレンジ色のままで使用されることになりました。なお、一番最初の運用日(7月18日)のみ、神戸ナンバーのままで走りました。

幕を取り替えて、運用初日の姿。この日のみ、まだ神戸ナンバーでした。

運用を開始してみたものの、トイレもない、放送テープもない、側面行き先表示もない、という点でやはりほかの2台と劣るわけでして、リムジン運用には極力2701、2702が使用されました。どうしても・・・というときのみ、この車両が運用に入りました。

運用に入った日。関西空港に到着した89−2192です。(2001・8・31)

9月に入っても、この状態が続きましたが、10月に入り、豊中に行っていた99−2700が茨木に帰ってきました。というわけで、89−2192は、特定車に転用、従来の3台(2700、2701、2702)での運用に戻りました。なお、2700には、ロゴを張ることをせず、豊中からのそのままの姿でリムジン運用についています。というわけで、ロゴのない、高速バスの姿で活躍しているわけですね。

豊中から帰ってきて10月6日からリムジン運用に入りました。復帰初日、通常通り、3往復して、JR茨木東口に戻ってきた2700。

その後、1年近くは特に目立った動きがなかった茨木線車両ですが、2002年12月、高速高松線車両不足(高知線増便関連?)で、またまた99−2700が豊中へ。そんなわけで89−2192が関倉運用を離れてリムジンバス予備車となっているようです。
2192は12月末に2日間、リムジン運用に入りました。
年が明けて2003年1月、2700が帰ってきました。今度は高松線で使用された、ということで、高松線の幕を追加されての帰還です。

そして2003年3月4日未明。2700の出張以外は茨木〜関空線を基本としてきたリムジン車両に新たな仕事が与えられました。それまで特定車、96−595で運行されていた深夜急行日生線です。前年12月に高槻線、粟生線が新設され、これらの路線でハイデッカー車が使用されるようになると、日生線のみE型で運行されている、ということになり、車両の均質化を図るための車両変更のようです。この写真については、撮影でき次第掲載したいと思います。

以上、リムジンバス茨木ー関空線の車両変遷史でした。また何らかの動きがあればお伝えしようと思います。


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